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檜枝岐村 尾瀬の玄関口にあたる奥会津悠久の秘境
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六地蔵 路傍の大樹
板倉 御行塚(おぎょうずか)
安宮(あんきゅう)清水 愛宕神社
橋場のばんば 歴史民俗資料館
福島県の西南端に位置する檜枝岐村は、群馬県片品村、新潟県魚沼市、栃木県日光市の3県に隣接し、尾瀬を見晴らす東北最高峰の燧ケ岳(ひうちがだけ)や会津駒ケ岳、帝釈山(たいしゃくさん)など2,000m級の山々に囲まれ、その間を流れる檜枝岐川(伊南川)と国道352号線に沿って人家が点在した、総人口750人程の小さな山間の村です。
村の遺跡から発掘された土器は縄文時代まで遡り、かつて「小屋の原村」と呼ばれた「下の原遺跡」が檜枝岐村発祥の地とされています。村の成り立ちを紐解くと、794年(延暦13年)、紀州牟漏郡星の里(きしゅうむろごおりほしのさと)から来た藤原金晴が住みつき、844年(承和11年)、枝折峠(しおりとうげ)を越えて越後から来た藤原常衡(ふじわらつねひら)・大友師門(おおとももろかど)・熊谷勘解由(くまがいかげゆ)の3人が村を開いたと伝えられています。
村の総面積の98.6%を占める山林からは、古くから村名に由来する良質の檜材を産出し、明治初期の地租改正後は山林の94.5%が官有地に編入されたことで、限られた民有林野での山仕事と、雪解けから秋の収穫期まで集落から遠く離れたわずかな耕作地の仮小屋に住んでの出作り耕作、他に農閑期の木工作りなどが1960年頃までの村の生業となっていました。
新潟・群馬に接する「尾瀬」の存在は、檜枝岐村を語る上で欠かせず、明治中期から武田久吉や深田久弥など多くの著名な自然・環境学者や登山家たちが訪れ、その道すがら訪れた檜枝岐村に関する研究書や紀行文などが多く出版され、古い時代に戦乱の世を避けて山深い隠れ里に住んだ平家の落人伝説や、他の地域から隔絶された地理的な条件からくるアクセスの困難な土地柄から、「秘境」や「桃源郷」のイメージが作られました。
1950年代に始まる只見川上流域の大規模な電源開発事業は、檜枝岐村に観光化の道を歩み出す大きなきっかけを作り、ダムの建設によって村の税収が増え、住民生活の改善や観光開発施策が次々と実現されていきました。また、温泉源泉の湧出に成功してほぼ全戸へ温泉が給湯されるなど、檜枝岐村は村民をあげて観光を村の産業と位置づけ、尾瀬のトレッキングと檜枝岐の天然温泉の二段構えを備え、村民の暮らしに潤いをもたらし、「秘境」は次第に遠い過去のものと変容していきつつあります。
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