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福旅ふくしま 春バージョン 浜通り編 特集
天地人ゆかりの地を訪ねて 直江兼続とふくしま

 今年のNHK大河ドラマ「天地人」は、福島・山形・新潟などを舞台に、「義」と「仁愛」の精神を貫いた武将・直江兼続の生涯を描いています。福島県内のゆかりの地は、戦国の歴史の転換期において直江兼続が激動の時を過ごした地。この春は、福島で花を愛で歴史に触れる旅を楽しんでみませんか。
最も天下に近づいた

豊臣秀吉を魅了し、徳川家康をも恐れさせた名将
写真1 1598年(慶長3年)、上杉家は秀吉の命により越後から会津に国替となりました。当時の会津は奥州・関東・北陸に五つの街道が延びる交通の要衝で、北の伊達・最上や関東の徳川家康をけん制する役割を担っていました。上杉家は石高も120万石と天下で三番目の大名となり、それに伴い兼続も家臣としては異例の米沢6万石を与えられ、景勝の信頼と秀吉の高い評価を受けました。
その年の8月に秀吉が死去。戦の気運が高まる中、1600年(慶長5年)兼続は若松城(鶴ヶ城)の北西約4kmの場所で「神指城(こうざしじょう)」の築城計画に着手します。鶴ヶ城の2倍の面積に相当する大規模な計画でしたが、徳川家康はこの動きを『上杉に謀反の疑いあり』とし、兼続に対して弁明を求めました。これに対する兼続の返書が「直江状」で、家康を相手に少しの妥協も見せない回答に家康が激怒し、会津討伐を決意しました。石田三成はこれを好機と見て徳川攻めの兵を挙げ、これが関ヶ原の戦いに発展したと言われています。
 
幻の白河決戦と松川合戦
 1600年(慶長5年)初夏、会津討伐の軍隊を迎え撃つため、兼続は白河の革籠原(かわごはら)に大規模な陣を敷きました。しかし、決戦直前に石田三成が大阪で挙兵し、徳川軍は関ヶ原の戦いへ向かったため、白河での決戦は幻に終わりました。
関ヶ原の戦いは東軍の勝利に終わり、勢いづいた伊達政宗は1600年、伊達・信夫(現在の伊達市・福島市・伊達郡)の上杉領地を狙い、政宗自ら侵攻してきます。「松川合戦」と呼ばれるこの戦いでは、伊達勢が福島城の目前まで攻め込みましたが、梁川城の須田長義と福島城の本庄繁長の挟撃により伊達軍を撃退します。
関ヶ原の戦い後、上杉家は米沢30万石への減封を命ぜられ、上杉家の会津統治は3年7ヶ月で終わりを告げますが、兼続は「人こそ財産」として家臣の解雇を極力避け、財政難を克服するため領内の殖産興業策を指揮し、藩の繁栄のため尽力しました。
 
天地人の時代 -ふくしまと直江兼続-
現在公開中〜3月15日(日) 8:30〜17:00
 神指城の謎、慶長出羽合戦のパネル展示や、上杉景勝書状、直江兼続知行宛行状などをはじめ、上杉領時代の伊達郡・信夫郡関係資料など、福島県と直江兼続の歴史をここで発見できます。

展示解説会
2月22日(日)・3月15日(日)各日午後1時〜1時40分
(予定)学芸員による展示品の解説。特に“米沢三十万石時代の福島”についてご紹介。参加自由、参加料無料。

問/福島県文化センター 歴史資料館展示室
福島県福島市春日町5-54 電話:024-534-9193
HPは[天地人の時代]で検索

大河ドラマ「天地人展」
現在公開中〜3月31日(火)
 大河ドラマ「天地人」で使用された品々を特別展示します。

問/(財)会津若松市観光公社
福島県会津若松市追手町1-1 電話:0242-27-4005
HPは[会津と天地人]で検索

直江兼続と会津の戦国武将
4月25日(土)〜5月31日(日)
 上杉景勝・直江兼続の足跡や、ゆかりの地のパネル展示。「会津の戦国武将列伝-兼続のライバルたち-」と題し、上杉氏をはじめ会津の歴代領主の肖像や書状(手紙)の展示、さらに「上杉120万石時代の城」、神指城跡など県内の城館跡出土品などを展示します。
期間中、ミュージアムイベント「シンポジウム会津の景勝・兼続」(5/16(土))や歴史講座(5/9(土)・6/13(土)・7/11(土)・8/8(土)各自13:30〜15:00)、展示解説会(4/25(土)・26(日)・5/30(土)・31(日)各日13:30〜14:30)などが開催されます。
新潟から会津、米沢への領地を移した上杉氏の動向とともに、葦名氏・伊達氏・蒲生氏・保科(松平)氏など会津の歴代領主との関わりにふれることができます。

問/福島県立博物館 福島県会津若松市城東町1-25 電話:0242-28-6000
HPは[福島県立博物館]で検索

 
天地人ゆかりの地 地図
半田山自然公園   直江兼続屋敷跡
写真1
かつて半田銀山があった場所。上杉氏が統治した時代から本格採鉱が始まった、日本三大銀山の一つ。「はんだごて」の語源の地と言われています。
  写真6
鶴ヶ城の大手口に面した場所にある。会津統治時代は、兼続自身も米沢に6石を領しましたが、越後から会津へ国替した直後の領内経営や秀吉の死、家康との対立など政務に追われる立場であり、会津の屋敷で起居するのが普通だったと考えられています。
     
上杉神社   旧米沢街道
上杉謙信公を祀る神社。   兼続も行き来した道、若松城下から米沢への重要な道筋になっていた街道。現在でも北塩原村の大塩裏磐梯温泉街から桧原湖北西の桧原に至るまで旧街道が残っており、ガイド付きによるトレッキングが可能です。
     
神指城跡   向羽黒山城跡
写真4
  写真5
上杉景勝を始め、葦名氏、蒲生氏郷、伊達政宗など数々の名将が治めた城跡。国指定史跡。
     
長沼城跡   南山城跡(現:鴨山城跡)
写真7
進軍する徳川軍を食い止める上杉軍の基地として利用されたと考えられています。
  兼続の弟・大国実頼が治めた城跡で、福島県史跡に指定されています。
     
白河小峰城   南湖公園
写真9
日本100名城の一つに選ばれている、東北では珍しい総石垣作りの城。全国でも数少ない木造復元天守閣の三重櫓が特徴。
  写真10
白河藩主・松平定信が造った日本最古の公園で、200年以上経つ今でも人々の憩いの場として親しまれています。
     
革籠原防塁    
「直江状」を発端に、会津討伐のための進軍する家康を迎撃すべく上杉軍が陣を敷いた革籠原。作戦は緻密に練られ、湿地帯の革籠原に徳川軍を誘い込み、足を奪われているすきに挟撃により一網打尽とする計画で、大規模な防塁跡と言われるものの一部が今も残されています。湿地帯だった一部は、後に白河藩主・松平定信が最古の公園である南湖公園として造成し、今でも人々の憩いの場となっています。    
     
花見山   大内宿
写真12
「福島に桃源郷あり」と称される県内有数の花の名所には、毎年全国から多くの人々が訪れます。
  写真13
江戸時代の道宿場町の面影を残し、萱葺き屋根の民家が並ぶ国重要伝統的建造物群保存地区に選定されている地域。
     
     
天地人ゆかりの地を巡るモデルコース

●気軽に天地人
<磐越自動車道 会津若松IC>−会津若松・南会津(鶴ヶ城、神指城跡、鴨山城跡、大内宿ほか)−喜多方−米沢−福島(福島城跡、花見山ほか)−白河(小峰城、南湖公園、革籠原防塁ほか)−<東北自動車道白河IC>

●天地人を極める!
<関越自動車道>−新潟方面(南魚沼市、上越市、長岡市)−<磐越自動車道会津若松IC>会津若松市−南会津・磐梯山エリアなど周遊−喜多方市−米沢市−福島市−白河市
「天地人」ふくしまゆかりの地情報
天地人 激動の舞台 福島 会津
http://www.pref.fukushima.jp/kanko/tenchijin/

“天地人”の時代 ふくしまと直江兼続
http://www.culture-center.fks.ed.jp/tenchijin/

会津と天地人
http://www.tsurugajo.com/

   
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